【世界三大悪女は誰が決めた?】呂后・クレオパトラ・西太后、歴史が創った虚像と実像

「歴史は勝者によって作られる」という言葉があります。

では、敗者や、男性中心の社会で権力を握った女性たちの物語は、誰によって、どのように語られてきたのでしょうか。

「世界三大悪女」――その強烈なレッテルは、本当に彼女たちの真実の姿を映しているのでしょうか?

彼女たちは冷酷無比な怪物だったのか。それとも、時代に翻弄され、国を守るために非情にならざるを得なかった孤独な統治者だったのか。本記事では、この「悪女」というレッテルが、誰によって、何のために貼られたのか、という視点から、彼女たちの実像に迫ります。

(※「世界三大悪女」は主に日本で語られる俗称であり、本記事ではその代表格とされる呂后クレオパトラ西太后を取り上げます)

目次

「悪女」のレッテルを貼られた、三人の統治者

① 呂后(漢)― 語られる「残忍さ」と、隠された「政治手腕」

私たちが「呂后(りょこう)」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、夫である漢の高祖・劉邦の死後、その寵姫・戚夫人の手足を切り落とし、目や耳を奪い、便所に置いたという「人彘(じんてい=人でなし)」の残忍な逸話でしょう。
この強烈な伝説から、彼女は我が子を傀儡の皇帝とし、一族で権力を独占した冷酷な女傑として歴史に名を刻んでいます。

しかし、本当に彼女はただの怪物だったのでしょうか。

動乱を共に戦った「同志」

歴史を紐解くと、彼女は夫・劉邦と共に貧しい時代から天下統一の戦いを支え抜いた、有能な政治パートナーでした。
劉邦が項羽との戦い(楚漢戦争)で前線に出ている間、彼女は後方で食糧の補給や内政を安定させ、さらには劉邦がためらうような有力な功臣(韓信など)の粛清を断行するなど、国家の安定に不可欠な「汚れ仕事」を引き受けていました。

彼女は、劉邦が皇帝になるために多大な貢献をした「共同創業者」だったのです。

なぜ彼女は「人彘」事件を起こしたのか

劉邦の死後、呂后が恐れたのは、寵姫・戚夫人が自分の息子を皇帝にしようと画策することでした。
それは、呂后自身と、彼女が生んだ皇太子(後の恵帝)の「死」を意味します。

ライバルへの苛烈な粛清は、現代の倫理観では到底許されるものではありません。

しかしそれは、皇后として、そして母として、自らの地位と息子の命を守り、建国間もない王朝の権力基盤を盤石にし、再び戦乱の世に戻さないための、非情な政治的判断だったという側面を無視することはできません。

事実、呂后が実権を握っていた時代、彼女は法を簡素化して減税を行うなど、民衆の生活を安定させた優れた為政者としての功績も大きいのです。
「人彘」の残忍なエピソードは、彼女の政治手腕を隠蔽し、「女が権力を持つとこうなる」という後世の儒教的価値観(男性史観)によって、意図的に強調された可能性もあります。

  • 物語の概要:夫・劉邦と天下統一を支えた「共同創業者」。夫の死後、ライバルの寵姫を「人彘(人でなし)」にする残忍な事件を起こす。しかしその裏で、減税や法の簡素化を行い、漢王朝の礎を築いた有能な政治家でもあった。
  • 象徴する価値観:権力維持の非情さ、国家安定の功績。
スペック項目内容
国・時代前漢初期(中国)
悪女伝説ライバルの寵姫を「人彘」にする、呂氏一族の専横
再評価(実像)夫と共に天下統一を支えた同志、国家を安定させた政治家
権力の舞台:漢・長安城(未央宮)

漢長安城未央宮遺跡(中華人民共和国 西安市)

中華人民共和国 陝西省西安市未央区

② クレオパトラ(エジプト)― 「妖婦」のレッテルと、「才媛」の実像

古代ローマの英雄カエサル、そしてアントニウス。この二人の実力者を、その類稀なる美貌と色香で次々と虜にし、国を破滅に導いた「世紀の妖婦」――それがクレオパトラの一般的なイメージです。

毒蛇に身を噛ませて自殺したという劇的な最期も相まって、彼女の物語は情熱的で奔放なものとして語り継がれてきました。

勝者ローマが描いた「プロパガンダ」

しかし、私たちが知るこの物語の多くは、彼女を破った敵、すなわちローマ側(特に初代皇帝アウグストゥス)によって描かれたプロパガンダであることは、あまり知られていません。

アウグストゥスは、政敵であったアントニウスを討つために、彼が「エジプトの妖婦に溺れた」というネガティブキャンペーンを展開しました。

クレオパトラを「悪女」に仕立て上げることは、ローマの国内世論を統一し、アントニウスを「ローマの敵」として断罪するために、不可欠な政治的策略だったのです。

9カ国語を操る「知性」という武器

実際には、彼女は9カ国語を操り、数学や天文学にも通じた、極めて知的な統治者でした。
(彼女以前のプトレマイオス朝の王族は、エジプトの民衆の言葉であるエジプト語を話せませんでしたが、彼女だけが流暢に話したと言われています)。

彼女が生きた時代、プトレマイオス朝エジプトは、強大なローマの侵略の脅威に常に晒されていました。
彼女がカエサルと結んだ関係は、単なる恋愛ではなく、国の独立を守るための命懸けの「外交戦略」でした。
かの有名な「絨毯に包まれてカエサルの前に現れた」逸話も、敵兵に阻まれた女王が、国のトップ(カエサル)と直接交渉するために打った、大胆不敵な「賭け」だったのです。

彼女は「美貌」で国を売ったのではなく、「知性」と「覚悟」で国を守ろうとした、最後の女王でした。

  • 物語の概要:「妖婦」というイメージは、敵対するローマ(アウグストゥス)が政敵アントニウスを討つために広めたプロパガンダ。実際は9カ国語を操る才媛であり、国の独立を守るため、カエサルやアントニウスと渡り合った高度な外交官だった。
  • 象徴する価値観:知性、外交戦略、亡国の悲劇。
スペック項目内容
国・時代プトレマイオス朝末期(エジプト)
悪女伝説ローマの英雄を色香で惑わし、国を滅ぼした妖婦
再評価(実像)9カ国語を操る才媛、国の独立を守ろうとした外交官
権力の舞台:アレクサンドリア

アレクサンドリア(エジプト・アラブ共和国)

エジプト・アラブ共和国 アレクサンドリア県

③ 西太后(清)― 「傾国の独裁者」か、「最後の守護者」か

清王朝末期に君臨した西太后(せいたいごう、慈禧太后)。彼女の悪女伝説は、より近代的です。贅の限りを尽くし、海軍の予算を自身の豪華な庭園(頤和園)の改修に流用して日清戦争敗北の原因を作った――。保守的で頑迷、近代化を阻害し、清王朝の滅亡を早めた元凶として描かれます。

傾きかけた帝国の、困難な「舵取り」

しかし、彼女一人が巨大な王朝の滅亡の責任を負うのは、あまりに短絡的かもしれません。
彼女は、アヘン戦争以降、欧米列強の侵略に晒され続けた激動の時代に、40年以上にわたり国の舵取りを担った現実主義の政治家でした。

当初は「洋務運動」など一定の近代化を支持していましたが、国内の根強い保守派(伝統を守ろうとする勢力)と、急進的な改革派(日本のような近代化を急ぐ勢力)との板挟みにあいます。

彼女の多くの判断は、西洋と日本の圧力、そして国内の反乱(太平天国の乱など)の中で、傾きかけた巨大な王朝を一日でも長く存続させようと苦慮した、困難な時代の「舵取り」の結果でもあったのです。
彼女の最大の関心は「王朝の存続」であり、そのために時には改革派を利用し、時には保守派と手を組むという、危ういバランス感覚で権力を維持し続けました。
「頤和園(いわえん)への予算流用」も、彼女個人の贅沢というよりは、王朝の権威を内外に示すための政治的デモンストレーションという側面が強かったのです。

  • 物語の概要:清王朝末期、欧米列強の侵略という激動の時代に40年以上君臨。海軍予算の流用などで「国を滅ぼした悪女」と非難されるが、実像は、保守派と改革派の板挟みの中で、巨大な帝国を一日でも長く延命させようとした現実主義の政治家だった。
  • 象徴する価値観:守旧的な権力維持、大帝国の黄昏。
スペック項目内容
国・時代清朝末期(中国)
悪女伝説贅沢三昧、海軍予算流用、近代化の阻害
再評価(実像)40年以上国を率いた現実主義の政治家、激動の時代の舵取り
権力の舞台:紫禁城(故宮博物院)

故宮博物院(紫禁城)

中華人民共和国 北京市東城区 景山前街4号

比較と考察 ― なぜ歴史は「悪女」の物語を必要とするのか?

この三人の「悪女」は、それぞれ異なる理由でそのレッテルを貼られました。

  • 呂后は、「道徳的な恐怖」の象徴として。儒教的価値観から「女が権力を持つと(人彘のような)残忍なことをする」という物語のために。
  • クレオパトラは、「政治的な敵意」の象徴として。ローマの勝者が、自らの戦いを正当化するための「プロパガンダ」のために。
  • 西太后は、「亡国の責任」の象徴として。巨大な帝国が滅びた複雑な理由を、一人の「贅沢な女」に押し付けるという、分かりやすい物語のために。

彼女たちに共通するのは、男性社会において、女性でありながら「最高権力者」として長く統治したことです。そして、その評価が後世の男性中心の史観によって、意図的に「悪」として形作られた点です。

【Mitorie編集部の視点】

あなたが「悪女」だと思っているその人物も、もしかしたら、勝者の物語によって作られた「虚像」なのかもしれません。

歴史は、複雑な現実を単純化するために「悪女」という便利な物語(レッテル)を生み出します。

なぜなら、その方が面白く、理解しやすいからです。

あなたが「悪女」だと思っているその人物も、もしかしたら、勝者の物語によって作られた「虚像」なのかもしれません。

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